木更津総合マネージャーの記事を読んで

先程、朝日新聞デジタル木更津総合マネージャーについての記事を読み、感じるものがあったので、それについて書いてみます。

以下、引用です。

中学で不登校のマネジャー、感謝の甲子園高校は皆勤

いけー!

八回裏2死満塁、オレンジ色に染まった三塁側の応援席から大歓声が起きた。その中には、木更津総合のマネジャー成海のどかさん3年の姿もあった。

中学2年の後期、学校に行けなくなり、そのまま卒業した。家にこもる自分を鼓舞してくれたのが、テレビで見る高校野球だった。中3の夏、体を反らせながら全力で校歌を歌う木更津総合の選手たちにあこがれ、自分もマネジャーとして一緒に歌いたいと、受験して同校に進学した。

入学後、憧れのマネジャーになり、部室の掃除やユニホームの洗濯に励んだ。先読みして行動しようと心がけ、選手たちにありがとうと感謝された。授業にも練習にも欠かさず参加し、高校の出席は皆勤。他のマネジャーと作った全国制覇祈願のお守りを全選手に贈り、甲子園での活躍を見守ってきた。

だが、この日は、持ち味の強力打線が沈黙した。九回裏に1死一塁としたが、最後は併殺で終了。成海さんはみんなで甲子園に来られて本当によかった。ここまで連れてきてくれたことに感謝したいと声を絞り出すと、選手たちに惜しみない拍手を送った。松山紫乃

朝日新聞社

引用元

自分は木更津総合野球部を2012年から応援していて、試合でプレーする選手だけでなく、スタンドで応援する選手やマネージャーの姿もよく見てきました。

2017年4月、少しだけ見た春の県大会で、笑顔で応援している成海さんが印象に残りました。元気そうで、今までそのイメージが変わることはなかったので、そういった過去があったことに驚きました。

自分も中学校で不登校だった時期があるので、読んでいて気持ちが入りました。ずっと休んでいたのは3年生の時とはいえ、休み始めたのは2年生の後期からだったので、自分を重ね、当時のことを思い出していました。

学校に行っていなかったことは誰にも言っていませんでしたが、大学生の頃、同じく千葉県から通学していた同級生と高校の話になり、そこから一般入試で入学したことを話すと驚かれ一般入試による大学進学率がほぼ0の学校なので、成績はともかく、不登校で調査書が厳しいという理由で、いわゆる進学校ではなく過ごしやすい環境を重視した高校選びをしたと打ち明けたことはあります。

もともと、最終学年の受験受験といった雰囲気が好きではなく、どこの高校が凄いとか凄くないとかそういった話も嫌で、それでも何だかんだそれを踏まえて受験、進学する自分を想像すると何だか滑稽に思え、進学校には行けても行きたくない気持ちがありました。そのため、ある種、本望でした。

1年生の途中までは話すきっかけを上手に作れず、友人がいませんでしたが、10月頃から話せる人も増えてきて、そこから卒業までそれなりに過ごしやすい日を送ることができました。卒業する時、過去に戻って不登校にならない道を歩んだとしても、この高校をまた受験しようと思えたことを覚えています。

そういったことを思い出し、成海さんも自分も、経緯や中身は違うとはいえ、この高校に進学してよかったという気持ちは同じなのかなと感じました。

自分は今も上手に生きることができません。仕事を辞めてからは、家にいます。綺麗には歩けませんが、かつての成海さんと同じように、そんな自分を鼓舞してくれ、いつも元気付けてくれるのが木更津総合野球部です。采配に不満が募ることもありますが、何度心を回復させられたか分かりません。

人の過去を思い、自らの過去を顧みることで、木更津総合野球部への感謝、何かしらの辛い過去や気持ちを抱える人の心の支えにいつかなりたいという思いがより深まり、心に刻まれる話でした。